こんにちは! ひろせめぐみ( @megmeg0001)です。
私は、新宿の歌声喫茶ともしびというところでピアノ伴奏をしています。
ピアノやアコーディオンの生の伴奏で、みんなで歌うお店です!
歌声喫茶ともしびの発祥は1954年。それからずっと今まで歌い続けているんですよ。
また現在のともしびの運営母体である「音楽文化集団ともしび」は、2019年で50周年を迎えました!(1969年結成)
この節目の時にあらためて、音楽文化集団ともしびの歴史やこれからについてまとめたいと思い、ともしびの大野幸則社長にインタビューさせていただきました。
大野社長は、1996年から株式会社ともしびの社長をされています。
(左)ひろせめぐみ(右)大野社長
音楽文化集団50周年の歴史と歌声喫茶のこれからについて、たっぷりお話いただきました!
特に印象に残ったのは「ともに生きあう」という言葉。ともしびで50年近く活動されている大野社長の言葉には、とても重みがありました。
「音楽文化集団ともしび」が生まれた経緯
めぐ
大野社長、今日はお時間いただいてありがとうございます。よろしくお願いします!
大野社長
めぐ
「音楽文化集団ともしび(以下、団)」が2019年で50周年を迎えました。おめでとうございます!50周年ってすごいですね〜!私には想像できないです。
大野社長
めぐ
「なぜ、50年続いたんだろう?」というのが私の中でひとつの問いになっています。それに、歌声喫茶の歴史で言うと65年になりますよね。
そう。団がなかったら、歌声喫茶はこんなに続かなかったと思うね。
大野社長
めぐ
そうなんですね!「音楽文化集団ともしび」は、どのようにして生まれたのでしょうか?
団の歴史の前に、まずは、歌声喫茶が1954年に生まれたことが大きな出来事だよね。
大野社長
めぐ
はい。当時はそこから、とても大きなブームに発展したと聞きました。
その頃は、歌声喫茶は「儲かる商売」だったんだよ。でも、時代のいろんな変化を経て歌声喫茶は儲からなくなった。
大野社長
めぐ
最初の歌声喫茶のブームは10年もなかったと聞きました。
そうなんだよね。儲からなくなると、店はあっという間に他の業態に変わっていった。あちこちにあった歌声喫茶はどんどんなくなっていったんだよ。
大野社長
めぐ
歌声喫茶の歴史の最初は「商売としての歌声喫茶」だったのですね。
そう。そして、歌声喫茶がなくなったことで、従業員は追い出されてしまった。
大野社長
めぐ
従業員は歌声喫茶が好きで働いていたんだよ。だから「これからどうしたらいいか」と悩んでいた時に、歌声喫茶が好きな人や熱心なお客様が「歌声喫茶を続けたい!」という思いで周りについてきた。
大野社長
めぐ
「じゃあ、みんなで自主運営という形で歌声喫茶をつくろう!」ということで、1966年に東京の亀戸にお店をつくったんだよ。
大野社長
めぐ
それが、ともしびの亀戸店のはじまりだったのですね!
ところが、いざ開店しようとする時にお金がなかった。だから、一生懸命寄付をつのって、お金をだしてもらったりしてできたお店だったんだよね。
大野社長
めぐ
そこには、従業員と熱心なお客さまが一緒になって動いていた。歌声喫茶を続けたい仲間たちが「これからも、みんなで一緒にやれる形はないものか」と模索しはじめた。
大野社長
めぐ
それで「ひとつの文化運動にしよう」と話がまとまり、1969年に「音楽文化集団ともしび」ができたんだよ。
大野社長
めぐ
おおお〜!そうだったのですね。「音楽文化集団ともしび」ができた経緯がとてもよくわかりました!
大野社長
めぐ
ちなみに「株式会社ともしび」というのもありますが、それは団とは違うのでしょうか?
実は、ともしびが法人格を持つときに、当時はNPO法人という法人格がなかった。だから株式会社の法人格をとったんだよ。本当はNPO法人の方がいいのかもしれないけれどね。
大野社長
めぐ
NPOという法人格ができる前から、ともしびは、NPOのような活動をしていたということですね!
「音楽文化集団ともしび」50年のあゆみ
めぐ
2019年で、音楽文化集団ともしびは50周年を迎えます。団ができた頃の「歌声喫茶を続けたい」っていう思いが、音楽文化集団ともしびが50年続いた理由なのでしようか?
それもあると思うし「ともしびは、ともしびらしい文化をつくっていこう」っていう動きがあったのも理由かもしれないね。
大野社長
めぐ
団ができてからは、「歌声喫茶という文化はなんだろう?」「ともしびがやる歌声喫茶ってなんだろう」っていうのをみんなで問い続けたよ。
大野社長
めぐ
そうだったのですね!そこではどんな話をされていたのでしょう。
当時は集団就職の時代。中学を卒業した若者は「金のたまご」と言われて、みんな東京へ、東京へと出て来た。だけど、大都会の中にいるけれども、知った人はいないし、友達もいないしという状況だった。
大野社長
めぐ
そんな若者にとって、歌声喫茶はみんなのいい「たまり場」だったんだよね。
大野社長
めぐ
歌声喫茶の「たまり場」には2つの面があって、ひとつは人が集まる場としての機能、そしてもう一つは、当時の喫茶店はいろんな文化の発祥の場だったんだよ。
大野社長
めぐ
あ!聞いたことあります。「名曲喫茶」というのもありましたよね。
そうだね。当時の若者は、自分の部屋なんてなかった。だから、思いっきり自分の趣味を楽しめるのが喫茶店だったんだね。
大野社長
めぐ
歌声喫茶では、みんなと思いっきり気兼ねなく歌えるし、さみしさも埋められますね。
ともしびはその時に「ひとりぼっちの青年をなくそう」というスローガンを掲げた。歌声喫茶は憩いの場になったし、たくさんのサークルがつくられて、青年たちの生きがいを発揮できる場になっていったんだよ。
大野社長
めぐ
そう。歌声喫茶で歌っていくうちに、みんな自然と「もっと音楽のことを知りたい」「歌を知りたい」という欲求がでてきたんだよね。
大野社長
めぐ
「音楽を学んだり、追究する場が必要なんじゃないか」ということで「ともしび合唱団」はじめ、ともしびの講座が生まれたよ。
大野社長
めぐ
そうだね。これらの活動を通して、歌声喫茶の内容も変わってきたよ。「ともしびとして歌う、ともしびの音楽とはどういうことか」ってことが大事になってきた。
大野社長
めぐ
「ともしびらしい音楽」を追究していくこと。これが、ともしびが長く続いたひとつの理由なんじゃないかと思っているよ。
大野社長
めぐ
大野社長
めぐ
「ともしびらしい音楽」のように、活動の中で「自分たちらしさを探る」のは、ブログの読者の方も私も、何かヒントが得られそうです。
そうだね。あとは「文化」というのは、音楽や歌だけじゃない。人間があってこその文化。「どういう人間であるか」ってことも関わってくるよ。そこもみんなで磨きあっていくことが大事だね。
大野社長
めぐ
「どういう人間であるか」ということも、音楽文化集団ともしびでは大事にされているのですね!
「ともに生きあう」ということ
めぐ
ともしびはずっと「みんなで歌う」ということを続けていますよね。歌声喫茶という「場」であったり、「みんなで歌う」ということについて、なにか感じていることがあれば教えてください。
歌声喫茶というのは、いわゆる音楽家だけがつくるのではなく、「お客さまと一緒に音楽や場をつくっていく」というのが一番大事だよね。僕の個人的な感情だけど「みんなでつくっていく」というのが楽しかったし、僕の肌にあっていたんだね。
大野社長
めぐ
その感覚は、私もよくわかります!そして「楽しさ」からはじまるのってすごく自然なことだし、やっぱりそれに尽きますよね。
そうだね。あとは、歌声喫茶の特徴なんだけど、歌集が歌声喫茶の歴史を語るひとつのものになっているんだよね。
大野社長
めぐ
いろんな歌声喫茶によって様々な歌集があるけれど、歌集はいろいろあっていいと思っている。手づくりの歌集を使っているところもあるね。
大野社長
めぐ
歌集に掲載されている曲だけでも、その歌声喫茶の特徴をよくあらわしていますよね。
そう。そして実は、歌集と同じように、人にとってもその時代その時代の歌があって、その積み重ねで今がある。歌の積み重ねは、その人の人生の積み重ねでもあるんだよ。
大野社長
めぐ
「歌の積み重ねは、その人の人生の積み重ね」ですか!確かに、歌声喫茶にいらっしゃる方は「これが私の人生」というように歌っている方が多い気がします。
そうだね。そのような歌を一緒に歌いあうことは「ともに生きあう」ということにもつながっていくんだよ。
大野社長
めぐ
「生きあう」という言葉は、ありそうな言葉でいて、あまり使われない言葉だね。
大野社長
めぐ
「生きる力」という言葉はよく使われるけど「生きあう」ことのほうが大事なんじゃないかな。それは人間なんだから。人間はひとりじゃ生きられない。ともに生きあってこそ、人間なんだよ。
大野社長
めぐ
僕も、すごくいい言葉だなって思ってるよ。ともしびのいろんな活動の核にしているね。
大野社長
めぐ
歌声喫茶でのすべての出来事が「生きあう」こと、そのもののような気がします。
そうだね、歌声喫茶も生のコミュニケーション。そこで、いろんな感情が生み出されていく。
大野社長
めぐ
「共感」という言葉があるけどね、僕は「共震」なんじゃないかと思っているよ。
大野社長
めぐ
そう、共震。メールなどとは違って、生の言葉や音楽、コミュニケーションは、じかに心身に響いてくるよね。
大野社長
めぐ
歌声喫茶では、いろんな想いが重なっていく。その時に共震していくんだよ。それはともに心が震えるということ。そして、お互いにその響きを感じ合えること。
大野社長
めぐ
その感覚、すごく「生きている」って感じがします。充実した感じ。決して一人では得られない感覚ですね。
大野社長
めぐ
「ともに生きあう」って言葉が少しづつわかってきました。
ともしびのこれから
めぐ
ここからは、ともしびのこれからの話をお聞きしてみたいです!
そうだね、いろんな形で「たまり場」を広げていけたらと思っているよ。ともしびを、今風で言う「アイテム」として使ってもらって一緒に広げていきたいね。
大野社長
めぐ
「みんなで歌う」っていうのがシンプルな取り組みだからこそ、いろんな形に展開できますよね!
そう。今も、いろんなところに「出前うたごえ」という形で、ともしびのメンバーが出かけているよ。
大野社長
めぐ
私もそうですが、地域で歌声喫茶形式の場を主催する人も増えましたよね。
そうだね。実は、団ができた時は「あなたのまちにも歌声喫茶を」というスローガンで活動していた。
大野社長
めぐ
そうでした。その時はお店としての歌声喫茶を増やす取り組みをしていたのですよね。
そう。でも今は、お店としての歌声喫茶ではなかったけれど、形を変えていろんな地域で広がっていった。「あなたのまちにも歌声喫茶を」というスローガンは実現したのかなと思っているよ。
大野社長
めぐ
本当にそうですね!歌声喫茶のように、みんなで歌いあう場が増えると、どんな良いことがあるでしょうか?
まず、どんな場でも「歌があふれる」のはいいなあと思うんだよね。そして、一緒に歌うことで、人と人が心を通い合わせられる。
大野社長
めぐ
歌があふれる世界で、ともに生きあえる人と人との関係が広がっていけばいいなあと思っているよ。
大野社長
めぐ
そんな世界が実現したらすごく素敵なことですね!私もその活動を一緒に担っていきたいです。今日はお時間いただいて、本当にありがとうございました!
まとめ
大野社長の言葉はすごく重みがあって深く、私では考えが及ばない範囲までお話を聞くことができました。
また、「ともに生きあう」「共震」など、今まであまり使ったことがなかったけれど、素敵な言葉とも出会うことができました。私もこれから心にとめておきたいことばかりです。
今回、大野社長からじっくりお話をお聞きすることができて、本当に良かったです。
追記
2019年4月6日に、大野幸則前社長が他界されました。心よりご冥福をお祈りします。
大野幸則前社長が、うたごえ喫茶ともしびの歴史を綴った遺作著書「『うたごえ喫茶ともしび』65年の歴史」が発売されました。
こちらもぜひ、ご覧になってみてください。
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