こんにちは!うたごえ伴奏ピアニスト・音楽療法士の ひろせめぐみ( @megmeg0001)です。
横山茂さんという歌手がいました。2011年にお亡くなりになられましたが、認知症になっても舞台で歌い続けた方で、奇跡の歌手と言われています。
2017年8月15日に、横山茂さんの奥さま、横山孝子さん(通称:かこさん)を訪ねましたので、今回はそのレポートを書きたいと思います。
今回の訪問のきっかけ
今回の訪問のきっかけですが、地域のうたごえで大活躍の司会者でバクさんという方がいらっしゃいます。現在フリーで活動されていて、うたごえ喫茶の歴史にも長く関わっている方です。
バクさんから「夏に横山茂さんの奥さまを訪ねてみようと思っている。一緒に行ってみないか?」とお声をかけていただきました。
横山茂さんの歌は、前にバクさんからカセットテープを借りて何度も何度も聴きましたし、その歌が本当に素敵だったので、私は「ぜひご一緒させてください!」とすぐにお返事したのでした。
横山茂さんは、実はうたごえ喫茶にも関わりのある方で、バクさんも茂さんからいろんなことを教えてもらったそうです。
訪問のレポートの前に、この記事でご紹介する横山茂さんがどんな方か、はじめにご紹介しますね!
横山茂さんはこんな方です
横山茂さんを語る話題は本当に豊富なのですが、どういうことをされた方なのかを簡単にまとめてみました。
- 1926年 岡山市生まれ
- 1945年/19歳 入隊。その年の8月に終戦。その後戦争捕虜としてシベリア抑留
- 1949年/23歳 帰国
- 1951年/25歳 劇団「わらび座(当時は海つばめ)」を結成
- 1955年/29歳 結婚
- 1972年/46歳 わらび座を退座
- 1975年/49歳 薬種商(現在の登録販売者)試験合格
- 1976年/50歳 「横山薬品」開業(山梨県上野原町で開業、5年後に現在の神奈川県藤野町に移転)
- 2000年/74歳 アルツハイマー病(認知症のひとつ)と診断
- 2001年/75歳 「横山薬品」を「シーゲル堂」(雑貨屋さん)に改めオープン
- 2011年/84歳 永眠される
簡単にまとめただけでもこれだけの項目になります。
戦争へ→シベリア抑留→帰国して劇団結成→劇団を辞めて薬屋さんを開業→アルツハイマー病を発症
という波乱万丈な人生を送った方です。(これ、あまりにも簡潔にまとめすぎて本人から怒られないか心配だ…)
横山茂さんの音楽歴
波乱万丈な人生の中でも歌はずっと茂さんの人生とともにあったそう。
茂さんは、戦争に行く前から合唱団をかけもちして入っていたそうですが、人生をかけて歌を歌っていこうと思ったのは、シベリアに抑留されていた時でした。
シベリアでもよくひとりで歌を歌っていたという茂さん。
同僚から「みんなを元気づけるため、ひとつ歌ってくれないか?」と声をかけられ「椰子の実」「浜辺の歌」「故郷」を歌ったそう。
ものすごい拍手と涙と最大の感動がその場に起きたそうです。
その日から、茂さんはあちこちで歌うようになった。
シベリアから帰国する時、茂さんはこう決意を新たにしたそうです。
「生きる希望と勇気を求めている人々のためにこそ、自分は歌わなければならない」
「二度と再び戦争をしない国づくりのために、歌で役立ちたい」
引用:奇跡の歌手横山茂(あけび書房)
その思いを胸に、帰国後は劇団を結成しました。
活動していくうちに、日本民謡の研究の必要性を感じ、秋田を拠点に活動するのに合わせて「わらび座」と改名し、1972年まで活動していたそう。
その後、わらび座を退座して薬屋さんを始めて営んでいたときも、地元ではまさか薬屋の茂さんが歌う人とは思われてなかったそうですが、東京の方などで歌うことは続けていたそうです。
そして茂さんはアルツハイマー病になってもステージで歌い続けた。
家族がわからなくなっても、言葉が出て来なくて会話が成り立たなくなっても、歌の前奏がはじまると茂さんの表情が変わります。
しっかりとした眼差し。しゃんと伸びた背筋。そして温かく優しい声で朗々と歌うのです。
その姿は、いったいどれだけの方を励まし、力をくれたでしょうか。
これが横山茂さんが奇跡の歌手と言われる由来です。
今回の訪問のレポート
では、横山茂さん宅へ訪問したレポートを書きます!
藤野へ(神奈川県と山梨県の間)
バクさんと、バクさんが私の他に声をかけた5名の方と藤野駅で待ち合わせました。
藤野駅から歩いて1分。坂道を下ると目の前に「シーゲル堂」の看板が。
横山茂さんと奥様と、二人で営んでいた雑貨屋さんです。
雑貨屋さんですが、地元のアーティストがつくったものをここに集めて売っているそう。
藤野は芸術の町とも言われています。駅に近いここのお店が藤野の町を象徴する玄関口にできないか、ということで「横山薬品」から「シーゲル堂」として2001年に生まれ変わったそう。
ごあいさつ
それでは、横山茂さん宅へとおじゃまします。茂さんの奥様かこさんと息子さん、そして仏壇の茂さんにごあいさつ。
仏壇の上にあった茂さんの写真。
茂さんの若い時の写真を見て「すごい!茂さんイケメン!!」とテンションが上がる女性陣。
確かにスラッとしてイケメンです!
いやーでも若い時もイケメンだけと、歳重ねてもいい男ですー!
ごあいさつが済んだら、みんなで持ち寄った昼食の準備をします。
ここからはみんなでランチタイム。いただきますー!
自己紹介
食事をしながら、まずはそれぞれ自己紹介をしました。
この日いらした方は、バクさんと私の他は、地域でうたごえを主催している方だったり、うたごえのファンの方です。
茂さんがロシアの歌をたくさん歌われている方なので、ロシアの歌が好きな人を中心に、バクさんが声をかけたそうです。私もロシアの歌は大好き!
横山茂さんのDVDを2本鑑賞
自己紹介の後は、横山茂さんのDVDを2本、みんなで鑑賞しました。
ひとつは、テレビで茂さんが紹介された時のDVD。そしてもうひとつは、茂さんが認知症になってから歌ったコンサートを見ました。
この二つのDVDを見て、本当に私は驚きました。
アルツハイマー病で家族の名前も出てこない、会話もままならなくなった茂さんが、しっかりと意志のある声で歌われるのです。
歌詞もメロディーにのって口からスラスラと出てきます。お医者様が首をかしげるほど。
歌の力ももちろんあります。
だけど、私が一番印象的だったのは茂さん自身がこんなに魂に刻まれるほど心の底から歌を歌ってきたんだということです。
表面だけで歌っていたら、きっと認知症になった時にここまで歌えなかったと思う。
それくらい歌を愛し、歌に真摯に向き合い、茂さんは自分のものになるまで歌い込んでいたのですよね。
本当に頭が下がる思いです。
DVD鑑賞の後は、今回声をかけてくださったバクさんからお話がありました。
バクさんのお話
バクさんからのお話は、現在の地域で広がっているうたごえの場への課題提起でした。
「今、うたごえ喫茶は広がってきているけど、ただ大きい声でガーガー歌うだけの場になっていないか?」
「今、いろんなところで歌われているロシアの歌が、茂さんだとどういう風に解釈して歌っているのか、今回は感じて欲しい」
「うたごえ喫茶の中でも、曲を理解して深めていきながら、みんなで歌っていくということが大事ではないかと思っている」
というお話でした。
バクさんは、この道50年以上の超ベテラン司会者です。
もう私よりもずっとずっと先を見ていて、地域のうたごえの場のあり方について、このお話は本当に考えさせられました。
うたごえの時間
バクさんのお話の後は「じゃあみんなで実際に歌ってみよう!」とのことで、即席うたごえ喫茶になりました。
伴奏は私です。ともしびの歌集からロシアの歌を中心に何曲か歌いました。
また、バクさんからの持ち込みで2曲みんなで歌いました。
- ブッヘンワルドの警鐘
- 壕舎の中で
曲を深めながらみんなで歌うって、並大抵のことではないです。
何より自分の身体に曲がしっかり入っていないといけない。私、まだまだ勉強不足です。
かこさんのお話
最後に、かこさんから茂さんのお話をたくさん聞きました。
シベリア抑留の話、薬屋さんを営んでいた時の話、シーゲル堂の話など、いろいろお話くださいました。
その中で、私が一番印象に残っているのは、茂さんが歌について語ったというこの言葉。
「歌は、声を聴かせようとする人はダメなんだ。歌を聴いた人が歌の意味を汲み取れる歌じゃないといけないんだ。」
なんだか私はこの言葉、かこさんの身体を通して茂さんが直接言ってくださったかのように感じました。
茂さんがいつも座っていたというこの椅子。
今回誰も座らなかったこの椅子に、まるで茂さんが座っているかのようにも感じました。
偶然この日は8月15日でお盆。茂さん、素敵な出会いと学びを本当にありがとうございました!
帰る前に、かこさんと記念撮影!
かこさんとバクさんです!
まとめ
今回は、奇跡の歌手横山茂さん宅をお訪ねしたレポートをお届けしました。
かこさん、今回声をかけてくださったバクさん、そしてご一緒したみなさま、本当にありがとうございました!
横山茂さんのことは本も出ているので、興味のある方は読まれてみてください。私もこの本を持っています。
また、今回から新たに「うたごえの歴史を探る」というカテゴリーをつくりました。
うたごえ喫茶に関わり歴史を作ってくださった先輩方の記録も、このブログに残しておきたいという思いからです。
また、先輩方を訪問したら記事にまとめていきたいと思います!