こんにちは!長崎県出身の ひろせめぐみ( @megmeg0001)です。
今は、東京・新宿の歌声喫茶ともしびでピアノ伴奏をしたり、関東を中心に地域で歌声喫茶形式の場をつくったりしています。
歌声喫茶では、よく「長崎の鐘」という歌のリクエストをいただくのですが、長崎出身としてこの「長崎の鐘」のルーツを探したいと思うようになりました。
このページでは、今も鳴り続けている長崎の鐘、浦上天主堂(浦上教会)の「アンジェラスの鐘」の訪問記を書きました!
長崎の鐘
「長崎の鐘」という、永井隆博士が執筆した随筆があります。
長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。
昭和24年には「長崎の鐘」というタイトルの曲が発表され、翌年昭和25年には、同じタイトルの映画が公開されました。
「長崎の鐘」という歌は、年末の紅白歌合戦でも何度も歌われ、戦後の時代を生きてこられた方なら、長崎の方に限らず多くの方が知っている歌。
そして今も、多くの場面で大事に歌い継がれている歌です。
平和公園の長崎の鐘
平和公園にある「長崎の鐘」はこちらですね。テレビなどで見たことある方もいらっしゃるかもしれません。
【FM長崎 特別番組“平和を祈る長崎の鐘”】8/9(水) 10:55~
平和公園にある「長崎の鐘」を鳴らす活動を続けて10年になる団体=長崎の鐘を鳴奏会(ならそうかい)
平和の同心円が拡がれば…との願いが込められた鐘の音と、会員の林田愼一郎さんへのインタビューをお届けします。 pic.twitter.com/uLCoo8URRM
— エフエム長崎 (@fm_nagasaki) August 8, 2017
この鐘は、原爆投下から33回忌になる昭和52年につくられたモニュメントなんですよ。
実は、この鐘のモデルになった鐘が、浦上天主堂(浦上教会)の鐘です。
浦上天主堂へ
長崎の鐘のルーツを探しに、浦上天主堂を実際に訪ねてみました!
道路からも、教会がよく見えます。
小高い丘の上に、浦上天主堂はあります。下の写真は階段を登りましたが、反対側は坂だったので、教会の前までは車で行けますよ。
浦上天主堂につきました!ものすごく大きな教会です。
高さだけでなく、奥行きもかなりあります。
なんと、1000名以上が入る教会なんだそうです!
音楽をされている方は、1000名が入るコンサートホールを想像してみてください。それくらい、すごく広い教会です。
浦上天主堂の歴史
浦上天主堂の周りには、浦上天主堂の歴史を伝える看板がいくつも立っていました。
これらの看板や私が調べたことから、浦上天主堂の歴史を簡単にまとめてみました。
- 長崎はキリスト教の布教の拠点となった歴史がある
- 長崎はキリシタンが多い
- 1895年に浦上天主堂の建設に着手
- 信徒の労働奉仕で30年の年月をかけ、1925年に完成
- 当時は「東洋一の教会」と称されていた
- 1945年に原爆で崩壊
- 1959年に再建される
このような歴史をたどってきた教会なのですね…!
原爆で崩壊した浦上天主堂
長崎・浦上の丘にあった東洋一の教会、浦上天主堂ですが、1945年8月9日の原爆で、一瞬にして崩壊します。
爆心地からわずか500メートルのところで被害を受けたのでした。
破壊された浦上天主堂[1946年1月7日撮影] pic.twitter.com/xmJIbt7jdg
— 浦上天主堂再現プロジェクト (@urakamisaigen) November 21, 2013
建物の一部である鐘楼は転落し、それは現在もそのまま残されています。
「え?!こんなところまで飛んでいったの?」と驚きました。
この鐘楼は、国指定史跡・長崎原爆遺跡になっています。
現在の浦上天主堂は、原爆が投下されてから14年後に再建された建物なんですね。
では早速、浦上天主堂に入ってみたいと思います!
浦上天主堂の内部
浦上天主堂の中をこの記事でお見せしたかったのですが、写真撮影が禁止されていました。
教会の中は、美しいステンドグラスがたくさんあり、広々としていて、とても心が落ち着く空間でした。ぜひ実際に足を運んでみてください。
また、今回のテーマ、長崎の鐘のルーツである「アンジェラスの鐘」ですが、建物内でとても高いところにあるそうです。(写真の矢印でさしたところ)
直接見るには長い長いハシゴを登らないといけないらしく、見ることはかないませんでしたが、お話をいろいろと聞くことができましたので、ここでご紹介します。
長崎の鐘のルーツ
浦上天主堂には、鐘が2つあったそうです。
原爆の被害にあった浦上天主堂ですが、奇跡的に、ひとつの鐘がほとんど完全な状態で瓦礫の下から見つかります。
「もう一度、この鐘を鳴らそう」
原爆投下の年のクリスマスイブに、三本の杉丸太を組み立て、その鐘を吊るして鳴らしました。
荒野と化した浦上の丘に鳴り響いた鐘の音。
原爆の被害を受けながらも、再び力強くその鐘は鳴ったのです。
教会ができてからずっと聞こえていた鐘の音は、戦時中は鳴らされることはありませんでした。
何年ぶりかに聞くことができた鐘の音に、信徒をはじめ多くの人が力づけられ、励まされたそうです。
この時、永井隆博士がこのような言葉を残しました。
それ以降、この鐘は「長崎の鐘」と呼ばれるようになりました。
「長崎の鐘」の歌詞の最後。
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る引用:藤山一郎 長崎の鐘 歌詞
「長崎の鐘」は、まさにこの歌詞の通りの鐘だったのです。
長崎の鐘の音
実はこの長崎の鐘は、現在も一日も欠かすことなく鳴り響いています。
許可をいただいて、動画を撮りました!原爆の被害を受けながらも、今も長崎の人を励ましている鐘の音をどうぞお聞きください。
動画では、長崎の鐘がなる前に、予ベルの鐘がなっています。
4回・3回・4回と鳴る、高い音の鐘が予ベルです。
1:13あたりから聞かれる、低い音の鐘が「長崎の鐘」です。
ちなみに、鐘の音は朝・昼・夕と1日3回聞くことができます!
- 朝:5:30
- 昼:12:00
- 夕:18:00
長崎の鐘とともに歩んだ町
ここは、長崎の鐘ととともに歩んだ町です。
この写真は浦上天主堂から見える道です。壁をよく見てみてください!
なんと「長崎の鐘」の楽譜が彫られています。
1番の歌詞と楽譜が書いてありました。
また、この長崎の鐘は「アンジェラスの鐘」とも呼ばれています。アンジェラスは「天使の使い」という意味だそうです。
浦上天主堂からすぐの道は「アンジェラス通り」という通りになっています。
この鐘を歌った歌は「長崎の鐘」だけでなく「アンジェラスの鐘」という歌もあります。
8月になるとよくリクエストいただく歌で、明るくて希望のある私も大好きな歌です。この歌をきっかけに「アンジェラスの鐘」という言葉に出会いました。
「アンジェラスの鐘」の楽譜と歌詞はこちらのページで見られます。
まとめ
長崎の鐘が、どれだけ長崎の方を励ましたか。その話を聞くことができて本当に良かったです。
これからは「長崎の鐘」の歌を、もっと心を込めて歌ったり伴奏できそう。
あと実は私、長崎出身なのに浦上天主堂に行ったことがなかったんです。
長崎っていろんな歴史がある街ですね。もっと、故郷の長崎を知りたいと思えた今回の訪問記でした!